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さぎ草 [雑記]

  8月ごろ、白鷲が飛んでいるような形の白い花を咲かせるさぎ草。かっては東京都世田谷区にも自生していたそうですが、今はもう区内に自生地はありません。昭和43年にさぎ草が世田谷区の花に制定されたのをうけて、季節にはさぎ草の植込みや育て方の講習会が開かれます。初めて参加してみました。

 ◎ 2月15日、さぎ草の植込み講習。
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・鉢(8号)
・球根
・みずごけ
・底土
・穴をふさぐ網







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・虫除けの網をのせる
・底土を入れる











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・水苔を2㎝入れる
・球根数個をのせる
(芽の部分を中心に向ける)
・その上に2㎝水苔
(水苔は中高に入れる)

・肥料の粒剤を周りに数個置く




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・完成













 ◎ 7月11日、花芽が見えてきた。
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 ◎ 8月8日・9日は展示会。
   期日に開花が間に合わなくても、花が終わった人も写真の参加。わたしは前日にやっと一輪咲いて晴れ舞台です。
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 ◎ 世田谷の鷺草伝説
   世田谷や奥沢などの地名からして、昔さぎ草の自生していた湿地帯を想像できますね。今もいくつかの鷺草伝説が残っていますが、下記はよく知られている話のあらすじです。

  世田谷城主吉良頼康には9人の側室がいますが子供がいません。強い勢力を持つ世田谷城主頼康から奥沢城主へ、常盤姫を側室にという命令のような願いには逆らえず、常盤姫は輿入れします。常盤姫は頼康公の寵愛を一身に集め、その上、頼康公が望んでいた子供を宿しました。
  さあぁ~大変。嫉妬した他の側室たちは、常盤姫の懐妊は、城中第一の美男と評判の内海掃部(うつみかもん)と密通したのだという作り話を、様々な手を尽くして告げ口したのでした。内海掃部とその一族は成敗され常盤姫の身も危なく、飼っている白鷺の脚に無実を訴える文をつけ、奥沢城の父母へ助けを求めました。しかしながら不運にも悪天候の中で白鷺は、奥沢城の近くまで来て力尽き落ちてしまいました。
  助けも来ず身の危険を感じた常盤姫は、二人の供と城を抜け出しますが、追っ手に捕えられて自害して果てました。村人が死んだ白鷺の脚の文を奥沢城に届け、やがて常盤姫の無実が証明されて、側室たちは処刑されました。
  翌年の夏、白鷺を埋めたところあたりに白鷺に似た花が咲き、悲しい運命に苛まれた常盤姫を偲んでさぎ草と名付けたのだそうです。



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